2005年06月のお知らせ

耕日庵の茶道教室では、基本を大切にし、教養とマナーの面での茶道も勉強していきます。四季折々の茶会、茶事が楽しめ、茶道を通して日本の歴史と文化を知っていただければと思っております。

 

つくばい

(2005.6.24[Fri])


昔は身分の高い人は立って手を洗う、高い手水鉢と、低いつくばいとがありましたが、やがて侘び茶の時代になりすべて低いつくばいで手や口を清めるようになりました。人間平等観が村田珠光あたりから利休時代にかけてお茶の世界に定着し、また這いつくばって手を清める姿にお茶の侘びを感じさせたのでしょう。客は、柄杓一杯の水で、両手を洗い、口をすすぐ。これはきびしい僧堂の作法から、茶道に移されたことです。柄杓の合は左に向けて置きます。上水ということです。下にうつ伏せますと下水ということになります。

 

 

無位真人

2005.6.5[Sun]


私たちは、ものを考える場合、無意識のうちに、ある「差別」にとらわれています。男女の別とか、貧富の差とか、学歴の違いとか、そういうつまらない「位」にとらわれてしまい、そこで金縛りにあって身動きがとれなくなっています。また、自分とは何かと考えてみたとき、そこには自分が見た自分と、他人が見た自分とがあるわけです。自分はこんな人間だと思っていても、他人から見ればまったく違うかもしれません。しかし、臨済禅師に言わせれば、そういう自分が見た自分、他人が見た自分とは別に、それとはまったく違うもう一人の人間がいるというのです。それは何物にもとらわれない自由な人間、すなわち「無位の真人」があなたの体に入ったり、出たりしているという訳です。静かにお茶を点て、また無になって一碗のお茶を頂く中で「無位真人」をはっきり見なさいよ、という意味です。ニューヨーク金剛禅寺、嶋野栄道老師筆

 

 

河原撫子

(2005.6.2[Thu])



 

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