2005年01月のお知らせ

耕日庵の茶道教室では、基本を大切にし、教養とマナーの面での茶道も勉強していきます。四季折々の茶会、茶事が楽しめ、茶道を通して日本の歴史と文化を知っていただければと思っております。

 

茶箱点前、雪

2005.1.29[Sat]


茶箱点前には、雪、月、花のほかに卯の花、和敬点前、色紙点前があります。
それぞれの四季に合わせて楽しめます。もともと茶箱は旅持ちや野点用として、利休さんの時代から使われていたようです。
耕日庵では茶箱の点前も四季に合わせてお稽古ができます。
また茶箱だけのコースもあります。

 

 

利休の茶

(2005.1.28[Fri])


現代の喧騒をのがれた冬の夜のひと時。
狭い茶室で、昔ながらのあかりと炭火の温もりの中で
静かに一碗の茶を点てる風景。
主と客が対座し、日本人は茶の湯という独自の芸術的な
場を創り出しました。
茶の湯の場における主と客との多分に精神的ないとなみを
茶道といいます。千利休が極めました。

 

 

花車

(2005.1.27[Thu])


この絵は、京都市真正極楽寺の六曲屏風の絵を日本古来の錦織「富蔵錦」で織り上げたものです。
桃山時代から江戸時代にかけて、献花や、特別な祭典行事の際に用いられた花車を題材とする絵が盛んに画かれたましたが、その中でも真正極楽寺の六曲屏風の花車の絵は優雅な伝統美溢れるものとして特に有名です。

 

 

初釜

(2005.1.25[Tue])

お茶をされている方は、もう初釜は終わった事と思います。
そして新たな気持ちでこの年をスタートされている事でしょう。
初釜はやはり茶人にとっては大切な行事と思います。
その中でも特に思い出に残った初釜や印象に残る初釜もあるのではないかと思います。しかし歳月人を待たず、いつしかその初釜も遠い思い出になってしまいますね。
茶人であった母のこの俳句の心は、わたくしもよくわかります。
(写真をクリックすると大きくなります)

 

 

真台子の点前

(2005.1.24[Mon])


裏千家にはたくさんのお点前があります。入門されると初心者の為の、小習いから始まり、4か伝、行台子、真台子、大円草、大円真、またそれぞれに炉と風炉があります。棚や台子を使ったお点前、それに炭の手前も入ってきます。逆勝手といった特殊点前もあります。たくさんあって大変な様にみえますが、それぞれに楽しめますので、進んで行けばいくほど益々お茶の面白さが湧いてきます。そして焦らずに続けることが肝要ですね。いつも言っていますが、お茶は、細く長くやるものです。そしてあなたの人生と共に歩んでいくものなのです。
(皆具は唐銅にかえ、青磁を使用)

 

 

海清寺での座禅

2005.1.23[Sun]


海清寺は兵庫県西宮市にある臨済宗妙心寺派の名刹です。かって乃木将軍もこの寺で座禅に打ち込み、胆を鍛えたと聞いています。私は学生時代よくこの寺の日曜座禅会に参加していました。前日の土曜日の夜寺に入り、雲水さんといろいろ話しをし、時には冷酒を酌み交わし、禅の話から世間話などしました。当時20人ほどの修行僧、雲水がいたようです。厳しい座禅をしていました。夜になると、ある僧は屋根の上で座禅をしていました。眠れ
ば落ちてしまいます。ある僧は錐を腹に当て座禅をするとか。その時の雲水の長的な僧よりこの皿を頂きました。海清寺の管長さんが書かれたとか、気迫を感じます。禅に打ち込まないと書けない字です。

 

 

永平寺へ参禅

2005.1.22[Sat]


4泊5日の参禅を終了した証書です。
永平寺では冬場は,起床(開静)4時20分、座禅、朝課(本堂で読経1時間)
の行事を済ませ、7時小食(朝食)。
後は座禅三昧の一日となります。
夕食は薬石と呼び、開枕(消灯)は10時です。

 

 

耕日庵

(2005.1.19[Wed])


この鐘を一つ突いてください。
音を聞きながら心で手を合わせてください。
これより先は俗事の事を忘れ、
すべてに正直で、慎み深く、おごらぬ様に
行動しましょう。これを「侘び」と言います。
皆さんは、お茶席で、「露」と言う字を見かけたことが、おありかとおもいます。これは「ろ」と読みます。雲門禅師のお言葉です。現在社会では仮面の上にさらに仮面を付けなければ生きていけない世の中になってしまった様ですが、せめてお茶席では全てをさらけだし、正々堂々と本来の自分に戻って、静かにお茶を飲まれては如何でしょうか。
                       
                 

 

 

達磨について

(2005.1.18[Tue])

達磨さんは南インドの香至国王の3男として生まれました。ある日、尊者が国王に招かれ宮殿にやってきました。そこで3人の兄弟の人物をためそうとしました。光輝く世にも珍しい立派な玉をそれぞれ2人の兄に与えました。2人の兄達は「この玉にまさる玉はない」と頭上にかかげ、口をそろえて褒めたたえました。しかし達磨は自分が求めているのはこの様な物ではない、といって玉を地上に投げ捨てました。自分のほしいのは知恵の玉だ。尊者は達磨の明知に感銘したそうです。もしあなたが今、1千万円を渡されたとき、私が求めているのはこんなものではない!と言って札束を投げ捨てますか。私もできませんが、余りにも物欲、お金中心になりすぎた今の時代に少しは警鐘を鳴らしたいと,この絵をみるたびに思います。物欲から少し離れたところで、心静かにお茶を点ててみては如何でしょうか。
(今は亡き、父が描き残した水墨画です)

 

 

鵬雲斎玄室大宗匠筆

2005.1.1[Sat]


対句として、「不入時人意」ときのひとのこころにいらず。
千年も万年も松の緑は変わらないけれども、しかしいつの時代も、その美しい松の緑を見ていながら、はたしてそれを本当に素晴らしいと納得した人は何人いるだろうか。私たちはその美しさを十分認識できるだけの目を持たなければならない、との教えでしょうか。

 

Powered by HL-imgdiary Ver.3.00